トランスのイベントに行って感じたこと
先々週、下北沢でやっていたトランスのイベントに行った。
ゴアトランスのような音を求めて行ったけど、まあ、ジャパニーズトライバルというか。とにかくぬるかった。
音楽に身を委ねてハマるときはあったけど、ずっとこのぬるさについての考察はとまることはなかった。
考えるあいだ、5.6歳児のイメージがベタっとくっつき離れなかった。日常的にタイやインドに恋い焦がれたアイテムを身に纏ってる日本人をみると嫌悪を感じていて、だったら日本から出て行けくらいに思っていた。けどなんなのか分からなかった嫌悪がはっきりと分かった。傷つきたいんだ。虐げられたいんだ。その中で叫びたいんだなと思って、それってやっぱり、そうとうなバットに入ってなにかに気付くことがないかぎり、大きく前進することはないよな。変わりたいと思うのに、ずっと同じ場所にるメリットってなにがあるんだろう。だからわたしは、その日のイベントになにも求めるものはなかった。
たんにDJがよくなかったのかもしれない。(申し訳ないけれど)でも、殻にまた閉じこもって振り出しに戻る、そんな危うさを感じてなんだか切なくなった。
そこにいる人たちは単純に笑顔で、日頃のストレスを発散したかったのかもしれないけどね。
幼児にもどり解放されるのもやり方がずれると、より一層こじらせるだけ。そのかけひきも体を動かす原動力だから良いも悪いもないけど、もっと前進する力に自分を持って行こうと思った。